23 March 2011

日本人としてのアイデンティティ

私は、自分は”世界市民”だって思ってるので、
自分は日本人です!
とか
熊本出身です!!
って言うのが、とても嫌で(というか、出身地については隠したくて)
フィリピンでも日本について、特に多くを語ったりしてなかった。
そして、特に日本の事を考えたりもしていなかった。

でも、今回の東日本大震災と津波、
そして福島の原発の件と、
日本がかなり危機的な状況に陥って、初めて、
やっぱり自分は日本人なのだと良く分かった。

日本のことが心配で仕方なくて、
仕事もほぼ手につかなかった。

そして、
避難所で、ちゃんと整列して食事を待つ姿、
懸命に節電に協力する様子を
テレビ越しに見て、とても日本人を尊敬した。

フィリピンでも、沢山の人が日本の状況を
本当に心配してくれていて、
こんなにも世界から心配してもらえる国は、
日本ぐらいなのではと思い、とて日本に生まれた事を誇りに感じた。

それ故に、
今、私はフィリピンにいて、しかもとても田舎に住んでいて、
日本の復興のために、募金ぐらいしか出来ない自分が情けなくなった。

でも、私の仕事は、
今後、益々多くのフィリピン人が
日本ファンでいてくれる為のものでもあるから、
日本の今後の為に、
私はフィリピンで私の果たすべき仕事を進めようと思った。

営業活動@マニラ

3月の初めにマニラで日本人会の盆踊りがあるという事で、
ロンガニーサ販売&バンタヤン島の広報をかねて、
マニラに上がりました。

で、今回ロンガニーサ100パックをもって上がり、
何とか全部売り切ることが出来ました。

まず、盆踊りで50パックほど販売。
(完売を目指したが、そもそもロンガニーサの知名度が低く、
あまり売れなかった。。。)

その後、マニラ(マカティ)でソーシャルビジネスを行っている、
レストランに営業に行き、その場でロンガニーサを販売&メニューとして出して頂く契約をしました!
ユニカセ/UNIQUEASE


そして、最後JICAフィリピンにも行き、販売終了。
でも今後、総会以外でのJICAフィリピンへの仲間売りは辞めようと決めました。

何がともあれ、
今回の営業活動で、
マニラのレストラン卸す事が出来て、
組合員のやる気が一気に上がり、
今後任地のバンタヤンやセブシティでも、
”マニラのレストランに卸しているロンガニーサ”って事で、
販売出来るので、今後の営業がとてもやりやすくなりました=

この調子で、今年前半、
営業活動に全力投球!!!

村落開発普及員としての初活動

長い事ブログを更新していなかったので、
何とかこの3週間ぐらいで起こった出来事を
つらつらと、書こうと思います。

2月終わりから3月初めにかけて、
レイテ島にJICA主催の村落開発普及員のワークショップに
行って来ました。

私の職種は村落開発普及員/Community Development Officer。
でも、私の活動の内容は、マーケティング・会計管理・生産管理で、
全くもって”村落開発普及員”らしい活動はしておらず、
今回のWSがいわゆる”村落開発普及員”としての初活動となりました。

WSの内容は、地域住民が主体となって、
自分達の町・村の問題点や改善案を出しましょう。というもの。

今回は、60人の地域住民の人を集め、
それを13グループに分け、各グループごとに、
村落開発普及員がファシリテータとして話し合いに入り、
円滑に話し合いが進むように、サポートしました。

ファシリテータとは、
グループの皆の意見を集められるよう、
発言を促したり、話し合いがきちんと結論にたどり着くよう、
道筋を作ってあげる立ち場の事。

そもそも、上手く話し合いをファシリテイトする事は難しく、
しかも今回はフィリピンで
レイテの私が行った事の無い場所に住む、
本当に一般の人達の話し合いをファシリテイトするという、
なんとも難しい事に挑戦しました。

結果は、
言葉は基本的な会話はビサヤ語なので分かるんだけど、
彼らの土地ならではの事になると、全く意味が分からず、
その内容が話し合いの意図から図出ているのかどうかが、
分からなかった。
しかも、やはりどんなに現地語を頑張って話したところで、
私が日本人であり、支援する側の人という立ち位置は変わらなくって、
終始"Mam"と呼ばれ続けて、壁を感じていました。
しかも、これで合ってますか?って聞かれて、
これは答えを出すものではなくって、
自分達の意見を纏める事なのに・・・って
きっと私が説明しすぎたから、私の考えに従わなきゃって
思わせちゃったのかも、と、とても反省しました。

難しかった。

でも、今回のWSを通して、自分の課題が見つかったのは大きな収穫。
しかも、レイテの本当に田舎の村の人達を集めて、
WSをしたのに、結構英語で問題点を書いたり、
プレゼンも英語でする人がいたりと、
彼らの語学力の高さをあらためて知りました。
しかも、ファシリテートできる人もちらほらいて、
彼らのポテンシャルの高さを実感しました。

そんなこんなで、
自分の課題と、フィリピンジンのポテンシャルの高さを知った、
WSとなりました。。。

チャン2

24 February 2011

CSR@バンタヤン

CSR(Cooperate Social Responsibility)
=企業の社会的責任

って聞いた事あります??

CSRについて色んな定義・考え方があるけど、
要は、会社は社会システムを構成する一員として、
この社会・環境を保っていく(より良いものにしていく)責任がある。
という考えの下、会社が環境問題や社会問題の解決に寄与する活動を全般に、
CSRと言っています。
ここ10年くらいで、ニュースや会社のHP上でも目にする機会が増えて
来ている言葉です。

特にいわゆる大企業は、CSR部門を作ったり、独自に財団法人を作って、
専門の担当者を置いて活動しているところがあります。

そんな会社の一つがKDDI。

今回2月16~19日にKDDIのCSR部門の方が、私の任地であるバンタヤンに来られて、
公立高校にパソコンの寄付と、
高速インターネットの設置をしてくださいました。

この期間、ずっとKDDIの方のアテンドをさせてもらい、
色々と学び・感じる事がありました。

本当はその学びについて書きたいんだけど、
めっちゃ長くなるので、今回はやめときます。

でも、一つだけ。
KDDIの方から言われた事で一番ありがたかった事は、
「青年海外協力隊ってはっきり言って、いらないよね」
という一言。

まあ日本社会においては、そういう見方が一般的だという事を、
あらためて、しかもフィリピンでの活動中に、気づかせてもらい、
本当にありがたかった。
日本社会とは離れたフィリピンで活動していると、
青年海外協力隊ってどんな活動でも出来るから、
自分が何でも出来るじゃないかって、思い込みがちになって、
でも、本当はただの井の中の蛙が、ガーガー言っている状態に近くって、
だから、日本に帰って来てから”使えない”って言われる人が多いんじゃないかと・・・

今回KDDIの人からの一言で、
確実に日本社会からも認められる活動をしようと、
モチベーションがかなり上がりました。

って事で、
感謝感謝の4日間となりました。


ちゃん2

振り返り~KADVO歯科フリークリニック@セブ~

この2・3週間バタバタしてて、
久しぶりの更新です。

さて、先日2月9・10日に
日本から歯科医師ボランティア50名程が来比され、
セブシティの小学校で、歯科フリークリニックが開かれました。
私は通訳要員(雑用要員)としてお手伝いをさせて頂きました。

暑い(昼は35度になって、しかもクーラーなし)環境で、
2日間で1500人以上の患者さんを診たり、
子供達には、ブラッシングの方法や歯磨きの大切さを伝る、
劇を行ってくださいました。

そして、久しぶりの沢山の日本人と接して、
逆カルチャーショックを受けている自分が気づいたのです。

日本人を見て思ったこと・・・

・色白い
・高そうなもの持ってるわ
・まじめに人の話を聞く
・細い
・きれい
・お金を人前にさらしすぎ
・やさしい
・英語話そうとしない
・一気飲みとか、プールに飛び込んだりする
・下ネタが多い
とか。。。

これが1年半後、日本に帰った時
相当な逆カルチャーショックになりそうで、
ちょっと怖くなったのでした。。

なにわともあれ、
とても勉強になった2日間となりました。

あっ、そうそう、
このイベントを通して、
セブ内で精肉流通をやってる会社の社長さんと知り合いになり、
今度うちのロンガニーサのサンプルを持っていくことに・・・
ちゃんと本職の仕事も出来た、とても充実した2日間でした。

チャン2。

08 February 2011

活動開始

任地での活動を始めて早3ヶ月。
ようやく、よ=やく、
計画から、実行へ

まず第一弾で、
明日、セブシティのフェアトレード店に
営業に行って来ます。

結果はどうなるか分からないけど、
彼らに出来る最良の事をやるだけ。


ようやく仕事モードになってきて、
気持ちも乗ってるんで、
この勢いで頑張ろう=

02 February 2011

別れ

任地・バンタヤンに来て
はや2ヶ月。
まだ2ヶ月。。。


なのに何故か、
別れが多い・・・・



しかも私にとても近しい人から順に、
いなくなってしまう。。。



ホームステイ先の家お手伝いをしていたJo Jo。
彼は、私が聞き取りやすいようにいつもゆっくり話してくれる
優しい男の子。
ほかの男の子達がバーバー早口で言うのを、
いつもゆっくりリピートしてくれて、
とても頼りになる人だった。

けど、今年の年末に突然、マニラで働く事が決まり、
風のようにさっとマニラに行ってしまった。


ホストファミリーが経営するサリサリストアに
何時もたむろする男の子達の中で一番、仲良しだったAdjie
いつも冗談ばかり言うから、皆に”Brong(バカ)”って呼ばれてて、
でもとっても友達想いで、純粋な男の子。
私が去年の年末に、配属先のDAの人から
とても悲しい事をされた時は、
ガードマン役をかって出てくれて、
ディスコに行くときは必ず一緒に行ってくれて、
時々私の職場にも来てくれて、ちゃんとガードマンをしてくれてた。

けど、
彼も急にマニラで働く事が決まり、
一昨日マニラに行っちゃった。


私は高校を卒業してから、
思えば色んなところを転々としてきて、
ずーっと出会いと別れを繰り返してきて。。。
だから別れに対して、
変に慣れてしまっている自分がいたりもした。



けど、
今回は、あまりにも急だったし、
あまりにさらっと行っちゃうから、
逆に私は辛かった。


私が2年後ここを去る立場で、
それよりも早くに皆が去ってしまう気がして、
なんか切ない。

でも、出会いなくして別れなし。
って思って、割り切るしかない無いのかな。











Adjieのお別れ会での一コマ
(マイク持ってる子がAdjie)

二年後はどうなってるのかな。。。。